フェンリルのブログⅡ

小説とガーデニングが好きな変人のブログです

ペラドンナ~第一章~

※この小説は以前某ブログに掲載したものを再編集したものです。


青山正哉(あおやままさや)は、とある会社に勤務する20代のサラリーマン。
所属する部署は営業課で、成績は悪くなく社内での評判も上々だ。
あと数年もすれば営業課長に昇進することはほぼ確実と言われており、
世間で言うところの"勝ち組"に属する人間である。
そんな青山が、ある日住宅街にある小さな公園のベンチに座って何をするでもなくボーッとしていると、
一人の酔っぱらいが公園に入ってきて青山が座るベンチのそばまでやってきた。
酔っぱらいは30代ぐらいの男で、ワイシャツのボタンを胸元までだらしなくはずしていた。
身長は170cmほど。
顔はとびきりのハンサムでもとてつもなく醜いわけでもなく、体は大きくも小さくもなかった。
典型的な中肉中背の男だ。
飲み過ぎたのか顔は朱色に染まり、ハリネズミのように逆立った髪のため
むき出しとなった額にはうっすらと脂汗がにじんでいた。
男は青山の目の前に立つとこう言った。
「ふう……ちょっと飲みすぎたかな~。
あっ、隣失礼してもいいですか?」
青山は会釈を交えて言った。
「構いませんよ」
酔っ払いは満足そうにうなずくと青山が座るベンチのスペースにドカッと腰を降ろした。
それから、酔っ払いはしばらくのあいだ体をベンチの背もたれにあずけたまま身動きひとつしなかった。
青山が声をかけようかと考えはじめたころ、ようやく酔っ払いは口を開いた。
「いやあ………。それにしても酒ってのはいいもんですね。
嫌なことを全部忘れさせてくれるんですからねぇ。
酒に較べたら世の中のほとんどのものはゴミみたいなもんですよね。本当に。
どっかの偉そうな政治家とか科学者なんかにノーベル賞くれてやるより、
酒を開発した人間にノーベル賞くれてやればいいのになぁ。
実際それぐらい偉大ですよ、酒ってヤツは。
なんてったって酒さえあれば警察も裁判所もいらないんですから」
酔っ払いはそこまで話すと、まるで口笛でも吹くように口をすぼめて息を吐き出した。
ひょっとしたら本当に口笛を吹いたつもりなのかもしれないが、唇から漏れる音は綺麗な音色にはならず
すき間風のようなヒューヒューという渇いた音をだしただけで終わった。
「酒の次にいいのはやっぱり女ですね。あれは本当にいい!」
そう話す酔っ払いの虚ろな視線の先には四階建てのアパートがある。
見掛けはやたら綺麗だが、面積はとてつもなく狭いアパートだった。
恐らく、六畳一間にキッチンとトイレと狭い浴槽がついているといった程度の簡素なものだろう。
住人のほとんどがこの酔っ払いのような独身のサラリーマンにちがいない。
彼らにとって家は寝るためだけにあるのだ。
男はさらに続けてこう言った。
「ただ女は金がかかるし、酒みたいにほしいときにいつでもってわけじゃないからそこんとこは微妙だけど……。
この前なんか誕生日プレゼントに30万ぐらいするやたら高いバッグ買わされたなぁ………。
ったく!月20万しかもらってないってのにやってらんないっすよね!」
酔っ払いはそう言うと深々とため息をついた。
肩を落としてため息をつく酔っ払いの姿は、まるで人生に疲れた四十代のサラリーマンのように見えた。
ひょっとしたら見かけより大分年齢は上かもしれないと青山は思った。
そこで、青山はふとあることを思いつき、左腕に巻いた黒い革の腕時計にチラリと目をやった。
時計の針は午前2時をさしていた。
この公園は住宅街の狭い通りの一画にあるため、この時間になるとほとんど人気がない。
これは、青山が"実際に何度もこの場に足を運んで調査した"ことだからほぼ確実と言えた。
しばしの沈黙を挟んだあと、酔っ払いは青山のほうに顔を向けこうたずねてきた。
「オタクはどう思います…………?
世の中酒さえあれば他に何もいらないと思いませんか?」
酔っ払いの問いかけに、青山は少しだけ考えてからこう答えた。
「そうですか。あなたは酒だけで満足できるんですね。
それはそれで素晴らしい才能だと思いますよ。
朝から晩までロボットのように働いて、帰り道に居酒屋で酒をあおって
何軒かはしごしたあげく、真夜中に家に帰って寝る。
そんな毎日を過ごしながら、合コンだとか同窓会だとかで出会った女と
いつしか恋に落ちて結婚して子供を産むわけだ。
素晴らしいじゃないですか。
そこには憎しみも悲しみもないです。
酒を飲めばすべて忘れられるんですから当然ですよね。
まさに完全無比のロボット人間というわけです。
とても私には真似できないです。」
「あっ、言っておきますけど私はあなたとはちがいますよ。
好きで今の仕事をしていますからね。
待遇面にもまったく不満はありませんし。」
酔っぱらいはぼんやりした表情で青山の顔を眺めた。
青山はさらにこう続けた。
「実際あなたは素晴らしい人間です。
酒を発明した人間?とんでもない。
あなたのような人間にこそノーベル平和賞はふさわしいですよ。
実際、私にノーベル平和賞を授与する権利があったら迷わずあなたにあげたいぐらいです。
世の中あなたのような"よくできた逸材"だらけなら、きっとつまらない争い事とか無くなると思うんですよね。」
青山がそこまで話すと酔っぱらいはみるみる不機嫌な表情になった。
そして、突然青山の胸ぐらを掴むと怒気を強めてこう言った。
「なあ?おまえさっきからオレのことバカにしてんのか?」
やはり、そうだと青山は思った。
この男は恐らく40代かそこそこだろう。
胸ぐらを掴んでいる手に迫力がまるでないのだ。
青山は慌てて首を横に振るとこう答えた。
「とんでもない。バカになんかしてないですよ。
むしろその逆です。
私はあなたのような方を尊敬しているんですよ。」
酔っ払いは何か不思議な生物でも目撃したように目を見開いて口をポカンと開けた。
「実は私、世の中が平和になるためにはどうすればいいかを研究するところで働いていましてね。
でも、なかなか研究がはかどらなくて………。
そこへ、突然あなたのような方が現れてそのおおいなる宿題を解決するためのヒントを与えてくれたんです。
私から言わせてもらえば、いわばあなたは神様のような存在です。
バカにするだなんて滅相もない」
「…………はぁ?」
酔っぱらいはようやく青山の胸ぐらを掴んでいた手を離した。
恐らく予想外の返答がかえってきて混乱しているのだろう。
「あなたはこいつ何言ってるんだろう?と疑問に思っているかもしれないですね。
まあ実際、なんの説明もなく突然こんなハナシを聞かされたら誰だって混乱しちゃいますよね。
少しだけ説明させていただきますが、実は私の勤めている会社はさる特殊な研究所でしてね。
一言で言うと、世界はどうすれば平和になれるかを研究しているところです。
世の中が平和になれば醜い争いごとはなくなりますからね。
それこそ裁判所も警察署も税金も必要なくなるわけです。
まさにユートピアですね。
旧約聖書に則って言えば、人類は再びエデンの園に帰還できるというわけです」
「ちょっとしゃべりすぎたかな………。
もう少し詳しいことを説明したいんですがここでは無理です。
とりあえず私についてきてくれますか?
お時間はそれほどとらせませんので。
ダメですか?」
酔っぱらいは、ベンチに寄りかかりながら既にウトウトしはじめていた。
恐らく、この酔っ払いは青山の話したことの1%も聞いていなかったのだろう。
いや、理解できなかったというべきか。
そのことは青山にとってはむしろ"好都合"といえた。
内容はお世辞にもスマートとは言いがたいが結果が伴いさえすればいいのだ。
「ちょっと失礼しますよ」
青山はそういうと、なかば強引に酔っぱらいの右腕を肩にかけて酔っ払いの体を担ぐようにして抱き起こした。
「あなたは実際すばらしい人間です。
平凡なサラリーマンとして一生を終えるにはもったいない逸材です。
あなたにはもっと最適な就職先があります。
そこに転職すれば勤務時間は今の半分で収入は恐らく今の倍になるでしょう。
そんな高待遇の転職先を無償で紹介してさしあげるんですから文句ないですよね。
ただ、今は大分疲れているようだからぐっすり休んでいてください。
私こう見えてもそれなりにチカラはあるほうなんですよ。
人間一人抱きかかえて歩くことぐらいわけないです。
あなたはただ遊び疲れた子供のようにぐっすりと眠っていればいいんですよ。
あなたが眠っているあいだ、私がちゃんと研究所へ運んであげますからね。」