フェンリルのブログⅡ

小説とガーデニングが好きな変人のブログです

ペラドンナ~第四章~

ーーAM1:00。
世間のごく一般的な人々が寝静まっているこの時間にも、働く人種というのは世の中には一定数存在する。
営業時間がとっくに過ぎている喫茶"ブラックキャット"の前に集まった男たちも、
そんな人種に分類される者たちの一員だった。
男たちは全部で4人。
中肉中背の男が1人。
体格のガッチリした男が1人。
背の高い男が1人。
160cmあるかないかぐらいのとても小柄な男が1人。
男たちはそれぞれに黒い服を身にまとっていた。
黒のジャケットに黒のスラックスに黒のソフト帽といった具合だ。
全身黒ずくめのため、灯りの消えたブラックキャットの前にいると完全に闇と同化し、
遠目ではその姿を目視することさえ困難である。
男たちは小声でヒソヒソと何か話し合っていた。
会話には、ときおり"殺す"とか"八つ裂き"とかいう物騒な単語が入り混じっている。
それらの言葉から想像するに、男たちがこれからやろうとしていることは、どう楽観的に見ても
コンビニのバイトに向かうわけでも、配管の点検に出掛けるわけでもないということがわかる。
やがて、話がまとまったのか男たちは互いにうなずきあうと何処かへ立ち去っていった。
男たちが立ち去り、誰もいなくなったブラックキャットの周辺は再び静寂に包まれる。
結局、男たちは最後まで気づくことはなかった。
灯りの消えたブラックキャットの店内にいる"監視者"の存在に。
そして、その致命的とも言えるミスが後に男たちの首を絞めることになるということにもーー



安田(と3人の男たち)は、あるマンションの非常用階段をひたすら駆け上がっていた。
四人の黒ずくめの男たちが、音も立てずに階段を駆けあがっていく姿を仮に目撃した人間がいたとすれば、
あまりにも非日常的な光景に困惑したことだろう。
あるいは、映画かドラマの撮影と勘違いして好奇の眼差しを向けるか。
そのどちらにしても、安田(と三人の男たち)にとっては都合の悪いことだった。
しかし、深夜のこの時間にこのマンションの非常用の階段を使う人間などいないということを、安田は熟知していた。
このマンションに乗り込む前に、このマンションの住民の動きを隅から隅まで片っぱしから調べあげたのだ。
このマンションに取り付けられている監視カメラの位置も事前に調査済みで、裏口に取りつけられている一台と、
非常用階段の一階部分にとりつけられている一台を破壊すれば、
目的の部屋まで監視カメラに映ることなく無事にたどり着くことができるはずだった。
安田(と三人の男たち)は顔を目だし帽で覆い、身にまとった黒いジャケットの下には耐刃製のベストを着用していた。
顔を目だし帽で覆い隠したのは、万が一誰かに目撃されたときのための予防策だ。
耐刃製のベストを身につけたのは、"標的"が万が一サバイバルナイフなどで抵抗してきた場合に備えてのことである。
やがて、ある階にたどりつくと安田は階段の壁にピタリと背中をつけて、廊下の様子を観察した。
事前の調査どおり、廊下には人気がなくシンとしていた。
安田は、三人の男たちのほうを振り向きうなずくと、一気に廊下を駆け出した。
目的の部屋は、五つ目の部屋を通りすぎた先にある六つ目の部屋だ。
部屋には数秒でたどり着いた。
50mほどの距離を音もたてずに全速力で駆け抜けてきたため呼吸が荒い。
少しの間、深呼吸をして呼吸を整えると安田は背の高い男(この男は蛇川といった)は扉の右手に、
残りの二人(小柄な男は鈴木といい体の大きな男は大淵といった)は扉の左手に立つよう手で指示を送る。
それから、安田は扉の右手の壁に背を預けるとそっとドアノブに手をまわした。
なるべく音を立てないようにゆっくりとノブをまわし扉を開ける。
思いのほかあっさり扉が開いたため、安田はやや拍子抜けした。
こんな時間だというのに、施錠されていないというのはどう考えてもおかしかった。
安田は先に部屋へ入ろうとする蛇川を押し留めると、小声でこう言った。
「様子がおかしい。一応、拳銃の準備をしとけ」
蛇川は、黒いジャケットの内側からサプレッサーつきの拳銃を取り出すと、
撃鉄を起こし、安田の顔を見てうなずいた。
安田もうなずきかえすと蛇川に「先へ行け」と手で促した。
蛇川は拳銃を構えながら部屋の中へ入っていった。
安田と残りの二人(鈴木と大淵)も、拳銃をホルスターから抜き出して撃鉄を起こし、
蛇川よりやや遅れて部屋のなかにはいる。
部屋の中は照明で煌々と照らされていた。
どうやら部屋に"標的"がいるのは間違いないようだった。
蛇川は、音を立てずにゆっくりとした足取りで部屋の廊下を奥へ向かって移動していく。
安田と残りの二人はその様子を玄関付近からうかがっていた。
これは、仮にもし相手が散弾銃のようなものを所持していた場合に備えての予防策だった。
この布陣なら万が一、散弾銃かなにかで蛇川がやられても、残りの三人で巧く標的を処理することができるからだ。
もっとも、そのような不測の事態は今まで一度も起きたことはなく、いつも蛇川が一人で済ませて終わるのであったが。
やがて、蛇川はある部屋の前で立ち止まると、壁に背中をピタリとつけてそっと部屋の中を覗く。
部屋の位置からして、蛇川が覗いているのはリビングだろうと安田は見当をつけた。
だいたいリビングというものは、玄関から近い位置に配置されているものだからだ。
蛇川はリビングの中を数秒覗いてから、安田たちのほうを振り返ると「こっちへこい」と手で合図を送ってきた。
安田は、残りの二人に向かって「ここで待っていろ」と指示すると、足音を立てないようにそっと蛇川に近づいていった。
蛇川は安田に「中を覗いてみろ」と手で促した。
安田は蛇川に促されるままリビングのなかを覗く。
リビングのなかは、まるで深海の底のような暗闇と静寂さに包まれていた。
明らかに様子がおかしかった。
仮にもしリビングに人がいるなら、大抵は部屋の灯りがついており、テレビやレコードの音だとか、
あるいは、キーボードを叩く音だとかが聞こえてきてもよさそうなものだが、
この部屋からはなんの音も聞こえてこない。
それどころか、人の気配というものがまるで感じられなかった。
寝室で寝ているということも考えられるが、それなら、廊下の電気がつけっぱなしになっていることや、
玄関の扉に施錠がなされていないのは不自然である。
だが、躊躇している暇など安田にはなかった。
もし監視カメラが破壊されていることに管理人が気づき、
警察に通報したりしたら事態はよりややこしくなるからだ。
なるべくなら、早急に"仕事"を片付けてすみやかにこの場から立ち去らなければならない。
たとえ罠が仕掛けられていたとしても、この広い部屋ならいくらでも誤魔化しはきくだろう。
安田は拳銃を握りなおすと、意を決して部屋の中に飛び込み部屋のあかりをつけた。
部屋のあかりをつけると同時に、安田は部屋の中央に置かれた"あるもの"を見て愕然とした。
「………!?」
それは血の海に沈んだ見覚えのある顔の男の死体だった。
男は喉を鋭利な刃物で掻ききられ、喉につけられたものと同じような切り傷が腹部にも残されていた。
切り裂かれた腹部からは腸が飛び出している。
死体の状態から考えて男が絶命していることは間違いなかった。
部屋には死体のほかに、大型テレビと牛革でできた大きなソファーが置かれていた。
安田は牛革のソファーの傍らに銀色に光る物体が落ちているのを発見した。
近づいて拾い上げてみると、それが"バタフライナイフ"であることがわかった。
そのバタフライナイフは、無惨な死体となって横たわっている男の所有物だった。
肌身放さず常に持ち歩いていたから間違いようがない。
バタフライナイフには血が一滴もついていなかった。
犯人はこのナイフを殺害に使用したのではないのだろうか。
三人が部屋に入ってくる音が聞こえた。
安田は急いでバタフライナイフをズボンのポケットにいれた。
「これ………林田か!?」
大淵(体の大きい男)が"林田"の死体を見るととっさにそう叫んだ。
大淵の声は大きいうえによくとおる。
「バカ!大声だすんじゃねぇ!」
安田はそう言うと大淵の頭を拳で殴った。
「いってー!」
殴られた大淵が悲痛なうめき声をあげる。
「これは"みせしめ"だな」
蛇川が呟く。
「ああ、間違いねえ。
クソっ!舐めたマネしやがって!」
小柄な鈴木がそう毒づいた。
「先に逝きやがって…………バカ野郎め」
安田は林田の死体に向かって絞り出すような声でそう言った。
ポケットに忍ばせたバタフライナイフを握る手がわずかに震える。
林田は安田の幼馴染みだったのだ。
「多分、標的はもうここにはいねぇだろうな。
仮にもしまだいるとしたら相当腕に自信があるか、ただの間抜けかのどちらかだろう」
蛇川が冷静な声でそう言った。
「でも、まだこの部屋のどこかに隠れて俺たちのことを見はってるかもしれねーぜ?
帰り際に背後からマシンガンでもぶっぱなされたらひとたまりもねぇ。
念のために捜しておいたほうがいいんじゃねーのか?」
大淵が(この男にしては)比較的冷静な声でそう言った。
安田はうなずくと三人に向かって「探せ」と命じた。
それから、安田たちは浴槽やトイレ、寝室のベッドのなかやクローゼットを手当たり次第に調べた。
しかし、どこにも"標的"の姿は見当たらなかった。
「やはり、いないみたいだな」
蛇川が呟いた。
「バッくれやがったか!クソったれが!!!」
大淵がふたたび大声でそう言った。
「大声だすなって言っただろう!
近所の住人に気づかれたらどうするんだ」
安田はそう言うと大淵の顔を今度は平手で殴った。
殴られた大淵の頬が赤く染まる。
「とりあえず、ここは撤退だ」
安田がそう言うと三人は同時にうなずいた。
安田たちが寝室を出て玄関まで向かおうとしたとき、ふいにパトカーのサイレンの音が聞こえてきた。
「げっ!もうサツの野郎がきやがったか!?」
大淵が再び騒ぐ。
安田は急いで玄関の扉に駆け寄ると、そっと扉を開けて外の様子をうかがった。
サイレンの音は確かに聞こえてくるが、パトカーの姿はどこにも見あたらない。
安田は安堵すると、背後にいる男たちに向かってこう言った。
「大丈夫だ。ここじゃない。
行くぞ!」
安田がそういうと三人は一斉に駆け出した。
安田はその後を追う。
部屋を出て廊下を階段まで一気に駆けていくと、
今度は駆けあがってきたのと同じ階段を下に向かって駆け降りていく。
「あの野郎、絶対に生かしちゃおかねぇ!
今度見つけたら八つ裂きにしてやる」
小柄な鈴木がそう毒づいた。
鈴木は、林田を殺されたことに心の底から腹を立てているようだった。
他の二人も鈴木同様に殺気立った顔をしている。
安田も、林田を殺害した犯人に復讐してやりたい気持ちでいっぱいだった。
だがしかし、"林田を殺害したのは本当に標的だったのだろうか"という疑問も安田は同時に抱いていた。
そもそも、なぜ標的は林田を殺害する必要があったのだろうか。
事前の調査では、標的の仕事はあくまで"誘拐"であるはずだった。
裏の世界で誘拐を生業としている者があやまって人を殺害してしまった場合、
普通はあのように人目につくような場所に遺体を放置しておくということはまずしない。
山に埋めるか、さもなくば硫酸で処理するかのどちらかだ。
そうしないと"アシ"がついてしまうからだ。
それから、安田にはもうひとつ気になることがあった。
それは林田の"コロサレカタ"だ。
首を掻ききってから腹部を切り裂く。
これは安田が所属する組織の人間の"コロシカタ"だった。
しかも、そのコロシカタには組織の人間にたいする"見せしめ"の意味合いが多分に含まれている。
安田が所属する組織の"見せしめ"をなぜ標的は知っていたのだろうか?
そんなことを考えているうちに、安田(と三人の男たち)はいつの間にか非常階段の一番下までたどりついていた。
安田(と三人の男たち)はマンションの裏口から外へ出ると、目だし帽を脱いだ。
全速力で駆け抜けてきたため目だし帽は汗でぐっしょり湿っていた。
安田は目だし帽を一度だけ強く振ると、ジャケットについたポケットにしまいこんだ。
それから、サプレッサー付きの拳銃をジャケットの中に装着しているホルスターに納める。
「おい、これからどうするよ?」
蛇川が安田に向かって訊ねてきた。
「とりあえず車をどこかへ移動させよう。
あんなとこに置いといたらポリ公に怪しまれるだけだからな」
安田はそう答えた。
「了解」
三人の男たちはそれぞれにそう答えると、車を停めてある大通りのほうへ向かって歩きだした。
安田もそのあとについて歩く。
だが、そのとき突然安田(と三人の男たち)の視界にパトカーの赤い点滅が飛び込んできた。
前を歩いていた三人組は、一瞬ビクッと体を震わせると足を止めた。
安田はパトカーの赤い光が点滅する方へ視線をむける。
視線の先には、安田たちが乗ってきた黒い車をしきりに調べている警官の姿があった。
「なんでサツがオレたちの車を調べてやがるんだ!?」
大淵が再び騒いだ。
「とりあえず、今はここで成り行きを見守るしかねぇだろうな」
しばらく考えてから、安田は口を開く。「標的を始末するほうが先じゃねーのか?
標的ならまだこの近くにいるだろうぜ。
ケーサツ呼んだのも多分そいつだろうしな。
さっさと見つけて始末しちまおうぜ」
鈴木が拳銃を取りだしながらそう言った。
「だよな!さっさとやっちまおう!」
大淵が鈴木の意見に同意する。
「お前らバカか?
あいつは林田を殺してるんだぞ。
とっくにばっくれてるに決まってる」
蛇川が腕を組みながら冷静にそう言った。
「まあ、確かに警察がいるのにそのへんウロチョロしてるってのはちょっと考えにくいよな。
ヤツだってできれば警察の目を避けたいだろうしな」
安田も蛇川の意見に同意する。
すると、鈴木がこう提案してきた。
「じゃあ、俺が偵察してこようか?
ポリ公が何を調べてるのか気になるし、もしかしたら野次馬のなかにヤツが紛れ込んでるかもしれんし」
安田は少しだけ間をおくと、やがて「しくじるんじゃねえぞ」と答えた。
「了解」
鈴木はズボンの中から紺のハンチング帽を取り出して被ると、大通りのほうへ歩いていった。
ハンチング帽を被った鈴木は、そのへんにいる一般人とほとんど見分けがつかなかった。
全身黒ずくめだというのに、物騒な雰囲気がまるで醸し出されていないのだ。
そこが鈴木の長所であり、この組織のなかで何かと重宝される理由でもあった。
安田はポケットからタバコを取り出すとライターで火を点けた。
ニコチンのおかげで血の巡りがよくなってくる。
タバコの煙が肺のなかにはいるのを感じると、やっと人心地がついたような気がした。
「なあ、本当に標的はまだこの辺にいると思うか?」
いつの間にか、安田の背後にいた蛇川が訊ねてきた。
安田は蛇川のほうを振り向きもせずに「さあな」とだけ答えた。
ーー鈴木は数分で戻ってきた。
「どうだった?」
安田は鈴木に訊ねた。
鈴木は首を振りながらこう答える。
「どうも俺たちが乗ってきた車の下に発煙筒が投げ込まれたらしい」
「発煙筒だと!?誰がやりやがったんだ!?」
大淵が騒ぐ。
「やっぱ、標的がオレたちの足止めをするためにやったんじゃねえのかな。
でも、あれ盗んできたヤツだからオレたちの身許は割れないだろうけどな」
鈴木が答える。
「指紋だってつかないようにずっと革の手袋はめてたしな」
蛇川がつけ足すようにそう言った。
「まあ……………犯人は十中八九"標的"だろうな。
標的はオレたちに狙われてることを察知して小細工をしかけたんだろう。
車から煙が出てれば騒ぎになるのは一目瞭然だしな。
とにかく、ここにずっといるのは危険だ。
今は、バラバラに散って逃げたほうがいい」
「撤退!?まだヤツが近くにいるかもしれねぇってのにか!?
先にヤツを捕まえて始末したほうがいいんじゃねーのか!?」
どうやら、大淵は標的をヤりたくて仕方ないようだった。
まくしたてるようにそう言いながら、ズボンの中にしのばせていたサバイバルナイフを取りだして、刃先を手でなぞっている。
まるで、サバイバルナイフの切れ味を確かめるように。
「こんな格好でウロウロしてたら怪しまれるぜ。
警察だっているわけだしな。
今は、どう考えても分が悪い。
ここは撤退したほうがいいに決まってる。
標的はまた日を替えて始末すりゃいいだろう」
蛇川が落ちついた声でそう言った。
「だな。
今は下手に動かないほうがいい」
安田が蛇川の意見に賛同する。
「チキショー!」
大淵が悔しそうにそう言った。
安田は全員の顔を一通り見回すとこう告げた。
「よし!お前ら散れ!」
安田が声をあげると、三人の男たちは全員別々の方向へ
(あるものは路地裏へ、あるものはマンションの裏へ、またあるものは大通りへ)
それぞれ走り去っていった。


ーー男たちが走り去っていくのを見届けると、安田はただ一人その場に残って、ポケットからショートホープの箱を取り出した。
ショートホープを一本口にくわえライターで火をつける。
タバコの匂いがあたりに漂った。
普段、DJとしてクラブで働く鈴木には組織のなかでは主に情報収集と偵察を任せている。
身長が低く小柄だが、人心掌握術と情報収集力に長けており、
誰にも警戒されずにこちらがほしい情報を確実に収集することができた。
標的が住むマンションの監視カメラ位置や、夜の何時になったらヒトケがなくなるかを調べたのもこの鈴木だった。
声が大きく大柄で一見するとでくの坊にも見える大淵は、おもにチカラワザが担当だ。
脅しのために敵の腕を折ったり、ときには敵が立てなくなるまで殴り倒すこともある。
やりすぎて敵をあやめてしまったりと少々迂闊なところのある男だが、
そばにいるだけで相手に威圧感を与えるため、この男も組織のなかでは必要不可欠な存在だった。
そして、組織一身長の高い男蛇川。
この男は拷問と暗殺が担当だった。
拷問の内容は、手足の爪を一枚ずつ剥がしたりものや、
全裸にした標的の局部に真っ赤に焼けた鉄を押し当てたりするものなど残酷極まるものばかりだ。
これらの拷問をためらうことなく執行することから、組織のなかでは"デビル"というあだ名で呼ばれていた。
しかし、残酷なところがある反面、身内には優しく意外に子煩悩であるらしかった。
子供の運動会や保護者同伴の遠足などによく顔を出しているというハナシを耳にしたことがある。
そして、今回マンションのなかで殺害された男。
その男の名は林田といった。
林田は安田の幼なじみで、昨年までは普通のサラリーマンとして堅気の生活を送っていた…………。
安田が物思いに耽っていると、不意に背後の植え込みのあたりからガサッという物音が聞こえた。
小さな音だったが安田は聞き逃さなかった。
安田は、ショートホープを地面に投げ捨てると靴の底で踏み潰した。
しばらくのあいだ、無言でその場に立ち尽くす。
植え込みの影に隠れた人物の反応はない。
しばしの沈黙を挟んだあと、安田が口を開く。
「…………こんなことしてタダですむと思っていたのか?」
反応はない。
しかし、植え込みの影に何者かがいることだけはわかる。
そして、その何者かが"自分の予想どおりの人物"であることも安田は確信した。
「林田はな………俺の唯一の幼なじみだったんだよ。
結構いいヤツだったんだぜ。
敬虔なサラニストでミサにも積極的に参加してたしな。
頭もよくて大学もちゃんと出てる。
まあ、オレのダチのなかじゃあわりにまともなヤツだったってわけさ。
ただ、ちょっとだけ抜けてるとこがあってな。
まあ、事業に失敗して大量の借金を抱え込んじまったのよ………。
その金を返そうと普段は土木作業員として働いてる。
そして、依頼されれば鉄砲玉にもなる」
安田はそこまで話すと不意に唇を強く噛みしめた。
唇が酷く震えている。
不意に心に溜めていたものが喉元まで出かかったがグッとこらえた。
"仕事"を遂行するときに何よりも大事なのは冷静さなのだ。
「………とにかくお前が殺したのはそういうヤツだ。
オレはてめえを絶対ゆるさねーぜ?
この場で八つ裂きにしなきゃ気がすまねぇ………。
隠れてないで出てこいよ!」
安田は、林田を殺した犯人が隠れているであろう植え込みを睨み付けた。
だが、やはり反応はない。
安田はホルスターからサプレッサー付きの拳銃を抜き取ると、植え込みのほうに向け数発の弾丸を撃ち込んだ。
むやみやたらに撃ったわけではなく、相手の身長や体勢などを考慮して正確に頭部を撃ち抜いた。
数発の発砲音があたりに響きわたる。
もっとも、発砲音といっても拳銃にはサプレッサーがとりつけられているためそれほど大きな音にはならなかったが。
火薬のニオイが辺りに立ち込める。
植え込みのほうで何かがドサッと崩れ落ちる音がした。
安田はため息をついてから拳銃をホルスターにしまうと、その場を立ち去ろうとした。
が。しかし、立ち去ろうとした次の瞬間、安田は背中から胸部にかけて鋭い痛みが走るのを感じて足を止めた。
心臓のあたりが重く苦しかった。
冷や汗をかきながらなんとか首をまわして背中のあたりを見ると、
サバイバルナイフが耐刃製のベストを貫通し心臓を正確に貫いているのが確認できた。
安田はとっさに叫ぼうとしたが、血で喉が塞がれていたため、安田の叫び声はゴボゴボっという
トイレを流したときのような奇妙な音を立てただけで終わった。
安田は、その場にたおれこんだ。
まるで強い麻酔でも打たれたように全身から力が抜けていく。
やがて、視界がぼやけていき呼吸することさえ苦しくなってきた。
"クソっ……………"
言葉にならない呻き声をあげる。
今まで出会った仲間や殺してきた人物の顔、そして、忌み嫌っていた人物の
顔までもが安田の脳裡に浮かんでは消えていった。
そして、最後に表れたのは林田の顔だった。
林田は安田に微笑みかけていた。
それは、何の屈託もない穏やかな微笑みだった。
安田も自然と笑顔になる。
もっとも、それは単に"意識のなかで笑った"だけであって、
"実際に目に見えるような形で笑ったわけではなかった"が。